江戸情緒香る粋な下町と革新続ける洗練された町を併せ持つ"日本橋"界隈を街歩き
Vol.44 / 2015, 06
中央区には日本橋とつく町名は、21カ所あります。駅名などで人形町や茅場町と呼ばれている場所も、町名では日本橋人形町や日本橋茅場町になります。下町情緒あふれる日本橋人形町から出発し、日本橋室町や日本橋を通り抜けて日本橋茅場町まで自在なライフスタイルが描ける街を散策していきます。
日本橋とは?
"日本橋"のたもとにある日本橋由来の碑には、1603年に最初の橋が架けられ、通称"日本橋"と呼ばれていたものが正式な橋の名となったとあります。それにあわせて、川の名前も平川から日本橋川に変わったのかもしれません。明治時代に入り1878年の郡区町村編成法により日本橋区が設置され、後に京橋区と合併して中央区となりました。そのため、旧日本橋区の町名には、「日本橋」と付けられた町名が残っています。
日本橋人形町・日本橋浜町
江戸時代のはじめ、歌舞伎で有名な市村座、中村座が建って繁栄したこの界隈は、手軽に楽しめる操り人形小屋や浄瑠璃芝居の小屋が人気だったそうです。付近には人形を製作・修理する人や、舞台で人形を操る人形師が大勢暮らしており、人形を売る店が数多く有ったため、いつしか人形町と呼ばれるようになりました。現在でも江戸時代から続く伝統工芸店や、老舗も多く残っている下町情緒あふれる魅力的な町です。
今回の街歩きのスタートは、東京メトロ日比谷線・都営浅草線「人形町」駅です。ここから時計台が目印の人形町通りを進み程なくして左に曲がると甘酒横丁が見えてきます。甘酒横丁と呼ばれるきっかけは、明治初期に横丁の入り口に甘酒屋があったことから、当時は、「甘酒屋横丁」と呼ばれていました。当時の横丁は、現在よりも南に位置していましたが、関東大震災後の区画整理に伴い、現在の「甘酒横丁」となりました。
甘酒横丁を通り抜けると日本橋浜町に遷座された「水天宮仮宮」が見えてきます。本来の「水天宮」は、現在工事中で、2018年の江戸遷座200年の記念事業として2016年春に新社殿が竣工の予定となっています。江戸の昔から子宝祈願・安産祈願として有名で、今でも毎月戌の日は入場制限が行われるほどの賑わいを見せています。
「水天宮仮宮」の隣には東京で最も長い歴史を持つ劇場「明治座」があり、多彩な公演で人々を魅了しています。1873年に当初は、喜昇座として開場して以来、140年以上の歴史がある劇場です。
食の老舗、名店が軒を連ねている日本橋人形町
再び甘酒横丁を人形町方面へ。この通り沿いには「魚久本店」があります。粕漬で有名な名店は元々、日本橋室町周辺にあった魚市場に近い日本橋蛎殻町に高級鮮魚の小売業「魚久商店」を営んだのが始まりでした。今でも、大人気の切り落としパックの販売には、朝から多くのお客さまが行列を作っています。余談ですが、魚久の粕漬は、私の母の大好物で送ってあげると大変喜びます。私は、平日のお昼限定営業の「あじみせ」でよく定食をいただいています。
なお、江戸時代に日本橋室町周辺にあった魚市場は、関東大震災の影響により築地へ移転しています。
その近隣にはすき焼きで有名な「人形町今半 人形町本店」があります。元々は「浅草今半日本橋支店」として、1952年に開業し現在に至っています。昔ながらの日本家屋でいただくすき焼きやステーキは大変美味です。すき焼きは、割下が熱せられて広がる香りと肉が焼ける香りとが合わさると、仲居さんが箸を持ち直し、最高の状態にある肉を取り分けてくれます。
また、親子丼発祥の店として名高い「玉ひで」もあります。平日でも行列が絶えないお店です。「玉ひで」の歴史は、300年近い歴史がある軍鶏なべ専門店でも有名ですが、1890年代に親子丼を出前として売り出して以来、親子丼発祥のお店としても有名になったようです。