SETAGAYA MATSUBARA
住まうことの真価を紡ぐ「世田谷区松原」。
喧騒を遠ざける、静謐な邸宅街の趣がここにあります。
レジデンスが誕生する世田谷区松原一丁目エリアは、
世田谷らしい街並みが広がる閑静な邸宅街。
戸建て住宅も多い洗練の環境が、潤いある暮らしを紡いでいきます。


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格式高き邸宅街として知られる「世田谷区」のなかでもレジデンスが誕生する松原一丁目エリアは、大通りの喧騒からも離れた閑静さが魅力。緑を蓄えた戸建て住宅や保存樹木なども多く、潤いある街並みが続いています。
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世田谷の邸宅地らしい小径が続くこのエリア。
戸建て住宅が多いエリアであり、デザインにこだわった瀟洒な邸宅も散見されるため、上質な街並みを眺めながら散策する楽しさがあります。
良好な住環境が将来にわたって期待できる、第一種低層住居専用地域。
レジデンスの計画地域は、法律によって定められた厳しい規制のもとに
将来にわたって良好な住環境が保護される「第一種低層住居専用地域」。
建物の高さ制限に加えて、ゆとりある敷地利用が求められるエリアとなっています。


※1:10mまたは12mの高さ制限は、都市計画で決定 ※2:店舗等の床面積が150㎡以下の場合
※3:事務所等の床面積が150㎡以下の場合 ※4:2階以下の場合
※5:床面積が10,000㎡以下の場合 ※6:客席が200㎡未満の場合
世田谷区ターミナル駅
徒歩10分未満
低層3階建てレジデンス
第一種
低層住居専用地域
1%の出逢い




HISTORY
悠久の歴史を感じ、愉しむ暮らしを。
世田谷区松原は、悠久の歴史に彩られていきた由緒あるエリア。
この地が育んできた豊かな刻に思いを馳せることも、暮らしに華を添えてくれるはずです。

明大前・松原の歴史
「松原駅」(現「明大前駅」)は、1913(大正2)年に「火薬庫前駅」として開業した。
付近に「陸軍省和泉新田火薬庫」があり、陸軍施設の秘匿化のためか、1917(大正6)年に地名にちなんだ「松原駅」に改称となった。
その後、1933(昭和8)年に「帝都電鉄」の開業と同時に「西松原駅」が開設され、
1935(昭和10)年に「明治大学 予科」の「和泉キャンパス」への移転に伴い、
共同使用駅として「松原駅」と「西松原駅」が統合され、「明大前駅」に改称しました。
鉄道の開業後急速に
住宅地として発展していく松原

冨士道神道扶桑教
神道扶桑教の太祠は、東京都世田谷区の、京王線の明大前駅より東へ徒歩3分の地に位置する、富士講系教派神道「神道扶桑教」の本部。元亀3年(1572年)に冨士道を開いた角行(1541-1646年)を開祖とし、食行身禄(1671-1733年)を中興元祖と仰ぐ。明治6年に各地の富士講を統合して冨士一山講社として結成され、同9年に神道事務局に所属して扶桑教会となる(この間、後の丸山教とも合同していた)。同15年に独立して神道扶桑派、更には神道扶桑教と改称し、教派神道の一派として公認された。境内には神社社殿のほか、新しく築造された富士塚がある。
国登録有形文化財
亀井家住宅主屋
住宅街に広い庭園をもつ洋館付二階建和風住宅。入母屋造桟瓦葺で、洋館は切妻造フランス瓦葺。玄関を東面道路に向け、玄関脇に洋館、東西に中廊下平面とする。中央続き間座敷の東西に階段を配して動線を公私で分け、各所に覗き窓を配し、要人の応接に備える。

現地3階相当より新宿方面の眺望写真